丸の内サディスティック

私の林檎暦は2013年の高校一年の頃からで(そのころから林檎が活動再開し始めた)、やはり椎名林檎と聞くと40~50代あたりの中年代のイメージが強く、私より少し年上の者かまたはマセタ同級生たちは東京事変のボーカルというイメージが強く、なかなか林檎の曲を知っているものが少なかった。そして、福岡での大学生活を迎えるにあたり、ちらほら林檎の曲を知ってる者を見かけるようになるが、きまって、皆口をそろえて、「丸の内サディスティックがすき」「歌詞は意味わかんないけどエモい」というのだ。確かに、丸の内サディスティックは名曲であり、初めてその曲を聴いたとき何を訴えたいのか分からなかった。そんな気持ちを抱いて林檎暦6年目に突入する今日のバイト帰り、地下鉄を降りたときにふとプレイリストからこの曲が流れたとき、およそ1/20世紀の時を経て、私の謎が紐解かれたので語りたい。

 

【楽曲詳細】

丸の内サディスティック

2枚目のシングル『歌舞伎町の女王』収録のカップリング曲

参考:

東京事変 - 幕ノ内サディスティック - YouTube

 

1.新宿系椎名林檎=新宿=カオスティックな街

ー新宿に集まるバンドマンにとっても、娯楽のジャンルも世代も人種もばらばらな人たちが集まる混沌が心地良いんだと思うんですよね。(鶉野)

―「新宿系」という統一したカテゴリーが存在したわけではない。でもフォークもそうでしたし、バンドムーブメントもそうでしたし、演歌もロックもクラブも……と、時々の時代の先端を行く音楽がカオティックに新宿に集まってきたという見方もできますね。

柴本:そうですね、新宿歌舞伎町自体がアバンギャルドな街ですから。

大塚:だから、ミュージシャンに愛される街なんだと思いますよ。ー

引用:

www.cinra.net

林檎が福岡から上京し、作曲活動の拠点としていた新宿が多様性に満ちた場所であることがわかる。

2.1998年の日本経済

丸の内サディスティックは椎名林檎二枚目のシングル「歌舞伎町の女王」のカップリングとして1998年に発売された。1998年の日本経済はいわば平成不況の真っ只中であった。バブル崩壊の波をうけ大手証券会社山一証券の倒産、消費税率引き上げにより景気は後退していく一方であった。

 

3.1998年新宿=椎名林檎の新宿系世界観

決して経済的にいい時代ではないし、そうゆう時代に安定した職業に就職せず、上京し、夢を追いかける若者たちで雑木林のような街となった新宿。新宿系と呼ばれた初期の林檎嬢の曲はどこか陰鬱であり、清純とは言い難い、アバズレチックな女性像だが、反骨精神のような生命力のような力強さがみられ、日本全体の陰鬱な空気に囲まれながらも求道する新宿若者の精神がみられる。

4.歌詞の分類

丸の内サディスティックの歌詞は、「歌舞伎町の女王」のようにストーリー性が全くみられない曲である。しかし、この曲の歌詞を分けて解釈していきたい

5.マーシャル・グレッチ・ラット・ベンジー浅井健一blanky jet cityのヴォーカル)=椎名林檎ベンジーへの敬愛・憧れ

歌詞に登場する「マーシャル」「グレッチ」「ラット」これらはベンジーことBLNANKY JET CITY(以下bjc)のボーカル浅井健一の使用しているアンプ、ギター、エフェクトであり、彼は林檎嬢が敬愛してやまない人物で、歌詞にある「ピザ屋の彼女になってみたい」とはbjcの『ピンクの若い豚』に登場する「ピザ屋の彼女」のことと思われる。

ピンクの若いブタ/BLANKEY JET CITY - 歌詞検索サービス 歌詞GET

つまり「マーシャルの匂いで飛んじゃって大変さ
毎晩絶頂に達して居るだけ
ラット1つを商売道具にしているさ
そしたらベンジーが肺に映ってトリップ」「そしたらベンジー、あたしをグレッチで殴って」は、まだデビュー前後のおそらく指標(ピンクの若い豚を聞けばわかるようどことなくデビュー当初の林檎の楽曲はbjcの影響を受けたように思われる)にしてる林檎の憧れがうかがえる。

6・残りの歌詞=①自身の経験説②林檎視点の東京の多様性説

ようやく難解であった歌詞の半分が紐解かれたが残る歌詞の

報酬は入社後並行線で
東京は愛せど何も無い リッケン620頂戴 19万も持って居ない  御茶の水

最近は銀座で警官ごっこ 国境は越えても盛者必衰 領収書を書いて頂戴
税理士なんて就いて居ない 後楽園

将来僧に成って結婚して欲しい
毎晩寝具で遊戯するだけ

青 噛んで熟って

終電で帰るってば 池袋

これらを紐解いていきたい頂戴

7・①自身の経験説

この説を裏付ける鍵が「リッケン620頂戴 19万も持って居ない」である。

丸の内サディスティック発売から二年後の2000年に発売された「ギブス」のpvでは実際にリッケン620を手にし、初期の林檎は度々リッケン620を使用している。このとから、残りの歌詞が自身の経験をもとに書かれたと思われるが、警官ごっこや僧と結婚したいことに関する情報がなかったので断定しがたい。そこである方の丸の内サディスティック観を述べていたのでぜひ、丸の内サディスティック観を深めるために見ていただきたい。

椎名林檎『丸の内サディスティック』の歌詞の意味がどこよりも分かるページ | チンパン草

 

8・林檎視点の新宿(都会・東京)の多様性説

この歌は林檎自身のベンジーに対する憧れ、狂愛であることは、先ほど述べ、大方の人々もそのように感じている。しかしここで、私は「僧になってほしい」と「毎晩寝具で遊戯する」この二つに焦点を当てたい。なぜ禁欲的な生活の僧と淫らな日々を送りたいと思うのか疑問であった。椎名林檎という女が背徳的な性を欲求していたといえばそれまでなので、ここで私の新しい定説を述べたい。

残りの歌詞=新宿(都会・東京)の人々と考えてみることだ。

ー報酬は入社後並行線で
東京は愛せど何も無いー


ー最近は銀座で警官ごっこー

ー国境は越えても盛者必衰ー

ー領収書を書いて頂戴
税理士なんていて居ない 後楽園ー

ー将来僧に成って結婚して欲しいー

ー毎晩寝具で遊戯するだけー
ー青 噛んで熟って頂戴ー

ー終電で帰るってば 池袋ー

一度このように区切ってこれらの歌詞の視点が林檎自身ではなく林檎視点からみた都会の人々として考える。

※ここからは私の個人的な推測、妄言にすぎないのでなんか語ってんなというスタンスで見ていただきたい。

場所は東京。東京メトロ丸の内線(たぶん)のどこかの駅の校内。帰り。電車の狭い扉を掻き分けながら進み、目指すは改札口。向かう乗客たちの足音がリズムを刻む。(イントロのパーカッション)

1998年の景気はまるでよくならず。さっきほどの車内で目に映った、同世代の若者、帰路に着くサラリーマンやOL、または、耳にした銀座での事件、無関係な乗客の性癖、電話越しの会話。こんな憂鬱な時代に、音楽をつづけることに全く迷いが無いといえば噓になる。この陰鬱さを打ち砕いてくれる唯一の救いは憧れのベンジー。19万のリッケン620には手が届かない。東京(または新宿)の多様性は、福岡と違い、まるで国境を越えたかのようなカルチャーショック。それを感じてるのは私だけでない。いまにもこのとてつもない大きな存在に飲み込まれそう漠然とした不安。ベンジーだけが私に喝を入れてくれる。ここに集まる(新宿)人たち(同業者)はみな個性にあふれてる。この中から頭ぬっきん出たものだけがデビューできる。プレッシャー。ベンジーを聞いて夢を見ていた福岡のわたし。それをたたき起こしてくれるのは、ベンジーだけ。東京メトロ丸の内線のサディスティックさ。この押しつぶそうとする不安をサディスティックと官能的に表現してしまうのは、音楽を続けてるときにふとベンジーに近づけてると感じるナルシシズムが心地よいからかも。

 

まとめ

都会のコンクリートジャングルにひしめく人々という大きな存在のなかで埋没してしまいそうになる自我と自分の理想,夢、憧れにを求めることの狭間で疲労困憊した者への心の寂しさを埋めてくれが故にエモいと皆そろえて言う理由なのだと思う

P.S.日本文学N教授のようなレジュメ形式を意識し、はじめての試みなので存分に広い心で読んでいただき誠にありがとうございます。